紫陽花考(その3)


  あじさいの語源(その3) : 紫陽花の学名について

タマアジサイ蕾   紫陽花には、学名として、古くは、ガクアジサイにHydrangea Macrophylla、アジサイにHydrangea Macrophylla var. otaksa という名が与えられていました。 このアジサイの学名には、かのシーボルト(Philipp Franz von Siebold;1796-1866)の愛の物語が秘められています。それはotaksaという種小名に込められています。Otaksaは、彼の日本人妻の名、楠本滝、通称”お滝さん”に由来するというのです。 薔薇や蘭などの園芸品種の愛称に女性の名前を付ける例は普通に見られますが、お堅い学名に自分の愛する者の名を潜ませるなどほとんどなく、ユーモアセンスのある人間性を偲ばせてくれます。

  学名の語源について、少し説明したいと思います。
    Hydrangeaは、属名で“アジサイ属”(ゆきのした科)を意味します。Hydrは、語源がギリシャ語で“水”を意味し、angeaは、同じくギリシャ語源で“容器”を意味するとのことです。この属名の由来は、紫陽花が梅雨時分に咲くので、梅雨→水→Hydrにあるのではないかと連想したくなりますが、どうもそうではなくて、アジサイ属のさく果(ラグビーボール形で 先端が裂けた果実)が“水瓶”に似ているからというところにあるらしい。紫陽花では、さく果は小さくて、それと認めることは困難です。 タマアジサイ
    Macrophyllaは、種小名で、同様にギリシャ語源で、Macroは“大きい”を、phyllaは“葉”を意味します。アジサイの学名の中のvar.は、varietasの略で“変種”を意味します。
    したがって、アジサイの学名は、アジサイがガクアジサイから派生した変種であることを意味しています。

  Hydrangea“アジサイ属”で比較的身近に見ることができるものには、タマアジサイ(右画像:蕾と花)、ツルアジサイ、ノリウツギ(別名サビタ)などがあります。
   タマアジサイは、開花時期がアジサイより大分遅い。氷取沢市民の森の沢の流れ沿いでも、暑さが増す頃涼やかな青い花を咲かせています。
   ツルアジサイは、梅雨のころ、白い花を着けます。梅雨の晴れ間の大山に登ると大木に絡み付いて白い花を咲かせたツルアジサイを遠望することができます。緑一色の山中に白い巨大な石筍が出現したような奇観を呈しています。
   ノリウツギは、夏の頃、白い花を着けます。その昔、トロロアオイの根と同様に木皮から、和紙を漉く時の糊剤を採りました。それがこの木の名の由来です。 以前、この花が阿蘇山のいたるところに咲いているのを見たことはありますが、横浜近辺ではまだ見たことがありません。

   シーボルトについてもちょっと触れたいと思います(この項は、「花の文化史、春山行夫著」による)。なお、シーボルトについては、「せいちゃんのホームページ」 に詳しく紹介されていますので、簡単に紹介します。
   シーボルトは、幕末、オランダ東インド会社所属の医者として来日したドイツ人です。優れた眼科医として日本人の治療に尽力し、名声と信用を得て、鎖国下の日本にあっても別格の処遇を受け、かなり自由な行動がとれました。 そのような比較的自由な行動の中にあって、鳴滝塾で日本人に医学教育をほどこすとともに、日本そのものに多大な興味を抱き、就中、植物には特に関心を持ち、採集、分類、命名し、ヨーロッパへ紹介しました。 そんな中に紫陽花もあったわけですが、これ以前に英国には中国から実物がもたらされていました。 シーボルトの日本の植物への関心は純粋に学術的なものではなく、園芸家的な興味からであったといわれています。西欧人には大航海時代以降、プラントハンティングの伝統があり、その表われではないかと思われます。 シーボルト事件で国外追放となり、オランダに戻り「日本誌」、「日本植物誌」などを著わしました。日蘭修好通商条約が締結された後、再度来日しています。


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