紫陽花考(その2)


  あじさいの語源(その2) : 紫陽花という漢字表記について

紫陽花   紫陽花という漢字表記が文献上に表れるのは、和名抄(倭名類聚鈔の略、源順著、10世紀前半)が最初と思われます。

  あじさいに、紫陽花という漢字があてられたのは和名抄成立以前からと思われます。紫陽花の典拠は、中唐時代の詩人、白居易(772-846)の詩文集「白氏文集」中の詩「紫陽花」です。

  日本では、白氏文集は、白居易の生存中にすでに渡来したとも言われ、しかも貴族階級に広く愛読されたので「紫陽花」という詩も9世紀後半には知られていたものと考えられます。

 「紫陽花」という詩はつぎのようなものです。

   「紫陽花  白居易」
   何年植向仙壇上  何れの年にか仙壇(仙境)のほとりに植えたる、
   早晩移栽到梵家  いつか移しうえて梵家(寺)に到れる。
   雖在人間人不識  人間に在りといえども人識らず、
   与君名作紫陽花  君のために名づけて紫陽花となす。

  この詩には、概要つぎのような前書きがあります。
 「招賢寺に花を着けた1本の木があるが、その木の名を誰も知らない。花は、色が紫で、香りが良く、大変に美しくまさに仙境にふさわしい花である。そこでこの花を紫陽花と名づけた。」

  中国(唐)文化に憧れていた平安人にとっては、この「紫陽花」がまさにあじさいであると思い込んだとしても不思議ではない。
  ただ、白居易が名づけた花が、本当にあじさいであったかは疑問視されている。あじさいは、1本の木と表現するにはふさわしくないようなブッシュ状の生え方をするし、香りもほとんどない。したがって、あじさいではなく、あじさい同様、中国にとっては外来植物であったライラックではなかったかという人もいる。(1999.6.17 朝日新聞、天声人語)

  「紫陽花」という名が、中国においては、大詩人白居易の命名にもかかわらず広まらなかったのは何故だろうか。詩そのものがご挨拶程度の詩で魅力に乏しく、人口に膾炙しなかったためかもしれない。

  それに比べ、日本では完全に定着し、紫陽花あじさいと読めない人はいないと思われるほどである。白居易も1200年前の昔、日本で紫陽花の文字がこれほど一般化することなど、ましてや“紫陽花倶楽部”の名称に採用されるなど想像だにしなかっただろうし、天国で大いに喜んでいることだろう。


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