紫陽花考(その5/終)


  紫陽花をテーマにした文芸作品

  かわら版の題名を紫陽花に関する文芸作品としたものの、思い当たる作品などひとつもないので図書館を当たってみることにしました。文芸作品のみならず、絵画などもと考えて調べ始めたのですがこれがまた簡単ではなく、腰を落ち着けて取り組まないとだめなことが分かり途中であきらめ、インターネットに頼ることにしました。 紫陽花切手

    まず、手始めに文芸作品を、神奈川県立近代文学館のホームページの蔵書検索で、キーワード「紫陽花」、「アジサイ」、「あじさい」、「あぢさゐ」で調べてみました。重複している書誌をを除いて、それぞれ63件、9件、12件、6件の合計90件もの多数の近代文学書誌が検出されます。これらの書誌名をみると、小説、詩歌集、随筆集などが含まれるようですが、どれも過去に読んだものはなく いくつか読んでみたいと思いますが・・・永井荷風の「あぢさゐ」、吉行淳之介の「紫陽花」などなら紫陽花の情緒がくみ取れるかもしれません。

    絵画に関しては、Yahoo!Japanで「紫陽花 絵画」で検索すると件名としては相当数検出されますが、古今東西の名画を紹介するようなHPはありませんでした(著作権への配慮?)。

ツルアジサイ

    インターネットから離れて身近な資料を調べてみると、日本経済新聞(2000年4月12日)文化面にアジサイ研究家山本武臣という人の随筆が掲載されています。その中で、古来、紫陽花は美しい花の割には冷遇されており、日本的な花として認知されるようになったのは、全国各地に紫陽花寺が登場した戦後のことであると嘆いています。 したがって、和歌をみても、古く江戸期以前では万葉集に二首、平安期に六首、鎌倉期に十五首、室町期に五首ほどがあるのみとのことです。

    万葉集の一首「紫陽花の 八重咲く如く弥(や)つ代にを 居ませ我が背子 見つつ偲ばむ(橘諸兄)」は、文字通り読むと相聞歌のようにも思えますが、同氏著の単行本「アジサイの話」によると、実態はそうではなく、藤原氏との政争の中で、橘氏がその同志の 繁栄を願って詠んだもののようで背景には相当生臭い政治情勢が絡んでいるようです。
    また、この和歌は別の問題を提起しています。すなわち、万葉の時代の紫陽花は、「ガクアジサイ」であるというのが定説のようですが、「八重咲く」という表現を根拠に、当時既に現在の「アジサイ」があったとする主張もあって定説に若干の混乱を生じているようです。

    紫陽花は、花の風情からみて、川柳にはなじまないと思いましたが、念のためインターネットで検索してみました。思惑に反し結構詠まれているものです。その中の一句に、 「クリックし 紫陽花満ちて 結果よし」というのがありました。え? 相澤さんは川柳もお詠みになるのかと、作者名を確認したところ、「Noboru Kado」となっておりました。どうも別人のようですので、句の方をよくよく確認したところ、「クリックし」ではなく、「クリニック」でした。 病院での検査結果が良かったので紫陽花の花のように晴れ晴れとした気分になったと詠んだものでした。一文字二文字の違いで全く違った内容になってしまうものですね。
(二枚の写真は、本文とは関係ありません。下の写真は、白い花を沢山着けた、大山のツルアジサイで、モミの木によじ登って6〜7メートルの高さになってます。)  


紫陽花考(その4)