新  世  紀

  年初ましてや新世紀の初めともなると思うこともいくつか脳裏を去来する。
せめて新世紀初頭くらい、希望的な展望に想いをめぐらしたいところだが、想像力の欠如か何も出てこない。出てくるのは前世紀の回顧とその反省ばかり。しかし、前世紀を回顧して反省すべきは反省し、問題点は同じ轍を踏むことのないよう心すべきと思う。
個人のレベルでの考えとしては、いささか唐突かもしれないが、新世紀に起こってはならないものは、「戦争」と「飢餓」であり、必ず起こるものは「大地震」と思う。
   「戦争」:前世紀は戦争の世紀と言われた。前世紀最後の大戦、第二次世界大戦も終戦から半世紀以上が過ぎて、戦場の体験者も少なくなってきた。戦争の悲劇を実感を込めて語れる人も少なくなってきた。身近な戦場体験者は、これまで戦場の悲惨さを語ってくれる人は少なかった。戦場のこととなると加害者意識があるのか口を閉ざす人が多かった。後世、世界戦争を引き起こさないためにも、個人のレベルで悲惨さを語ることが必要だし、語り継いでいくことが必要である。八幡宮の冬牡丹 冷戦の時代は過ぎて、世界大戦の危険性はなくなったとはいえ、未だに地域戦争は絶えない。叡智を持った人間でありながら、国家間、民族間、宗教間の紛争解決手段として、戦争が役立たない方法だということをを未だに悟れない人たちがいるし、戦争に代わる有効な解決手段を考え出せていない現在では、戦争にうったえる狂気の指導者が何時現われるとも限らない。日本では、そんな狂気の指導者は生まれないだろうが、他地域の戦争に参戦しても良いと考える指導者が現われないとも限らないので、それを個人レベルでも完全拒否する姿勢が大切である。
   「飢餓」:唐突であるが、質の異なった飢餓が新世紀には日本でも現実に起こる可能性があるのではないかと恐れる。私の戦争の記憶には飢餓が付いて回る。戦争といっても、私自身、兵士の体験があるわけでなく、ただ、B-29の襲来に恐れおののき防空壕に逃げ込んだり、艦載機グラマンの爆音に防空頭巾の上から耳を押さえた体験があるだけだが、終戦前後の飢餓だけは身をもって体験した。栄養失調寸前の状態で、食えるものは何でも食った。タニシやザリガニやイナゴは子供にも捕ることができた。野草のハコベラは、そのころ名前を覚えた。飢餓の苦しみは体験した者でないと分からないと思う。世界を見ると現実に、未だに飢餓に苦しむ子供たちがいる。現在の飢餓は、地域紛争、貧困と切り離せない問題として起こっている。しかし、新世紀ではこれらとは原因を異にする飢餓が発生するのではなかろうか。現在、世界の人口は約60億人と言われている。これが2050年には90億人前後になると推定されている。この人口増に見合う食糧増産が行われなければならない。そのためには、乱暴な論だが、今の耕地を50%広げなければならない。農業生産技術の向上を見込んでも、相当量の耕地の開拓が必要となる。問題はそれだけの耕地の拡大ができるかということと、耕地拡大のための膨大な森林伐採が異常気象の引き金となって農業生産の不安定さに結びつくことである。日本のように米以外の食糧を輸入に頼っているような国は、新世紀中には、食糧危機を迎える時がくることを真剣に考え、対策を講じておく必要があると考えるのは杞憂であろうか。

   次元は異なるが、日本で確実に起こると予測できるのは、自然災害、特に地震である。関東地方の直下型地震と東海地震は新世紀中に起こることは間違いないだろう。現在の地震予知レベルでは、これらの地震が起こる時期については的確な予報は不可能である。それがために、学者や行政が発している警告に真実味がない。それ故に、われわれもそれほど危機感を持たないし、また、自分の所は大丈夫だろうといった楽観的な見通しを持っている。しかし、関東大震災並みの強度の地震が首都圏を襲ったら、人的被害は言うに及ばず、日本の発展を数年遅らせるような災害に見舞われるのは確実であろう。そうはいっても、現実に取れる対策は、個人レベルで取れる対策に万全を期し、あとは天佑を待つのみなのかも知れない。私自身、阪神淡路大震災の家屋被害を被った一人である。西宮市と明石市に通算11年住み、震災の5年前に転勤して関西を離れ、幸か不幸か、持ち家の被害だけで済んだが、地震に対してはことのほか関心が強いつもりである。が、いざ具体的な対策をとなると完璧な方法がなく、焦りの気持ちが募るのみである。

写真は八幡宮の冬牡丹です。本文とは関係ありません。