中  国  文  明  展

  NHK放送75周年事業として世界四大文明展が各所の美術館、博物館で開催され、そのうちのひとつ、中国文明展が横浜美術館で8月5日から11月5日まで開催された。青銅器中国文明には日本人として少なからずコンプレックスを感じているし、また隣国のこととして少なからず関心を抱いているので、閉展も迫った11月3日に見学に行った。当日は大変な混雑で、入館まで小一時間並び、館内は満員電車並み(ちょっと大げさであるが)の人込みであった。

   展示物の内容は、要約すれば、新石器時代の紀元前6000年〜5000年ごろの陶器から始まってそれぞれの時代を代表する遺物、すなわち殷・西周時代と春秋戦国時代では青銅器と玉器、秦時代は兵馬俑、漢時代は陶俑と青銅器などであった。それ以降の時代はあまり興味がなかったのでよく見なかった。

   青銅器、特に殷・西周時代のもので感心させられるのは、その鋳造技術の精巧さもさりながら、文字が既に使用されていたということである。文字があったればこそ、殷という王朝が伝説上のものでなく実在した王朝と確認できたわけだし、殷の前の夏王朝が遺物からはほぼ実在した王朝と考えられているにもかかわらず断定されていないのは文字の書かれた遺物が出土しないからである。

   秦時代の兵馬俑も精巧で写実的な等身大の陶俑を作ることのできる技術力には感じ入るばかりである。兵俑

   ただ、この中国文明展では納得のいかない点がある。誰もが感じる疑問点ではなかろうか。一つは秦時代の始皇帝の業績にかかわるものすなわち、度量衡の統一と文字の統一に関する遺物、遺品が出展されてなかったこと、二つ目は漢時代の司馬遷の「史記」にかかわる木簡や紙の発明にかかわるものなどが何も出展されてなかったことである。

   余談になるが、「史記」の文字数は130巻、52万6500字といわれている。当時は木簡に書かれたものと思うが、漢時代の木簡は長さが約22.5cm、幅が約1.2cmで、一枚に約15文字書かれたとのことである。ちょっと計算すると、木簡の数で3万5000枚必要であったし、幅方向に並べると約95mの長さにもなる。現代において、パソコンに記録するとすると、漢字一文字2Bとして計算すると単純には1.053MBとなり、一枚のフロッピーディスクにおさまってしまう。2000余年という時間の隔たりはこれほどの進歩を生む。

   さらにもう一つ余談。当日入場券を買うべく売り場にならんでいたところ、後ろから妙齢の女性に声を掛けられた。「入場券をよろしかったら差し上げます」と言う。全く見知らぬ人だし、つい下司な性分が出て「おいくらでしょうか」と言ったら、「招待券ですから、ただで差し上げます」と言われて大いに恥じ入った次第でした。それにしても、何故私が入場券を譲る相手に選ばれたのか今もって分からない。いずれにしてもただで入場できたことに感謝している。